教師も人間。全てが人格者ではない。学校では社会に出るための練習をしていきなさい
230:おさかなくわえた名無しさん:2013/11/10(日) 20:56:00.18 ID:I75Gc3Dc
「学校とは社会に出るための予行練習をする場でもある。
教師も人間だから、全てが人格者とはかぎらない。
むしろ心底尊敬できるような教師にあたるほうが少ないかもしれない。
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だが、それは社会に出たときにも同じことが言える。心服できる上司なんて一握りだ。
そういう奴を上手くあしらうやり方を、ここで練習していきなさい」
と、中学の時の担任が言っていた。
その人は、出会った教師の中で唯一尊敬できる人だったな。
みんなの反応
2:面白い名無し:2014/03/23 14:55:42
もっと早く出会いたかった言葉
3:じっぽっぽ:2014/04/18 16:30:46
本当にその通りだと思う。公立の中学だったけど、教員とは呼べない連中のが多かった。
「素直さは最大の知性」だと教えてくれた担任は今だに心に残っている。
「でもしか」の教員が多かったあの時代でも、なるべくしてなった恩師に出会えた自分は恵まれていたと思う。
4:タロ:2015/02/26 18:56:23
俺が行ってた学校にはこーゆー先生いなかった。
5:面白い名無し:2018/10/14 17:57:13
教員免許なんて実質、多少低ランクでもとりあえずカネさえ惜しまずに大学入って所定の教職課程を書類上だけでも通過しさえすれば、人間的にどんなクズでもどんなサイコパスでもロリコンでも、取得できちゃうからね。そんなもの運転免許と同じで「免許」でも「資格」でもなんでもなく、カネ払って買ってるだけの、就活におけるただの保険でしかない。特に田舎の公立教員なんて、都会の就活でダメだった奴が夢破れて田舎に帰ってきて、ふてくされたまま仕方なくやってるパターンがほとんど。いくら熱意があって志願して教職を選んだ奴も、結局はそういう連中に潰されていくのが、今の日本の教育制度なんだよね。
要望があったのでコメント欄にトリップ機能をつけてみました。詳細はこちら。
1:面白い名無し:2014/03/23 10:59:46
全俺が泣いた