病気持ちの母親に「母ちゃんと同じ大学にいく」と約束した

カテゴリー: 感動・泣ける話
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俺の母ちゃん、俺が高3に上がったときにいきなり倒れて入院した。
検査をして入院が決まったが、俺は内容を詳しく聞かされなかった。
夏頃から受験勉強もあって母ちゃんに会いにいく時間も取れなくなっていった。

俺は決して頭が良くはなかった。母ちゃんは立教大学出身。
俺は小さい頃良く「母ちゃんと同じ大学にいく」と言ったものだ。
実際に受験となると、ハードルは高かったけれど、立教を目指してがんばった。

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冬になり、母ちゃんは次第に痩せていった。飯も食わなくなり、俺の手を良く握るようになった。
母ちゃんは俺に色々話をさせた。学校、進路、夢。思えば何であのとき気がつかなかったんだろう・・・

最後の模試の結果が出た。努力の甲斐か、立教大B判定が出た。俺からすれば奇跡に近い判定。
おれは帰りに病院に行き得意げに模試の結果を見せた。
「母ちゃん、おれ立教大いくよ。判定もホラ」
「がんばってるのね。○○が後輩になってくれたらお母さん嬉しいよ」
その日も母ちゃんは俺にたくさん話をさせた。俺の手を握りながら、楽しそうに。

それからすぐ、俺は大学入試を迎えた。
大本命の日、朝早く起きて下に降りると母ちゃんが台所にいた。
「何やってんだよ母ちゃん、寝てなきゃ」
「今日は本命の日でしょ、お弁当持ってきなさい。」
一年ぶりの母ちゃんの弁当だった。

俺は涙が出るのをこらえながら準備をして出かけようとした時に母ちゃんが急に苦しみだした。
俺は急いで病院に電話し、救急車を呼んだ。家には俺しかおらず、付き添って行った。
意識が飛びそうになるくらい混乱しながら苦しむ母ちゃんの手を握った。
病院についてすぐ親父も駆けつけた。しばらくして担当医に呼ばれた。

「最期になるかもしれないのでついてあげて下さい」

俺と親父が病室に入ったとき母ちゃんは無惨なほどだった。血の気は引き、やせ細り・・・
しばらくして意識が戻った。母ちゃんはいつもみたく手を握った。病人とは思えないくらい強く、俺は子供みたいに泣いていた。
母ちゃんは声にならない声で何かを呟いていた。
俺は耳を近づけて聞き取ろうとすると確かにこう言っていた。
「うけてきなさい」
そして母ちゃんは俺から手を離した。

そんなの無理に決まっている。母ちゃんを置いて受験に行くなんて。
しかももう8時を回っている。間に合うとしてもギリギリだった。
困惑した俺に親父が声をかけた。

「行ってきなさい、母さんもそうしなさいと言ってくれてるんだ」

俺は母ちゃんの手をもう一度握ると弾けたように病室を飛び出していた。
そこからどうやって来たかはおぼえていない。走って、乗り換えて、池袋駅を疾駆して何とか一限の筆記を受けたときやっと正常な時間の流れに戻った気がする。
昼休み、何も食べる気がしなかったが母ちゃんの弁当を思い出した。
俺は中庭でそれを広げた時、何とも言えない懐かしさと何かこみ上げるものを感じた。
それは俺が中高5年間食べた母ちゃんの弁当だった。涙をこらえて食べた。

それからは流れるように時間が経ち、手応えも何も感じないままフラフラと病院まで帰った。
病室に入ると、母ちゃんは居なかった。
看護婦さんに聞いて霊安室につれていってもらった。数名の遺体の中、変わり果てた母ちゃんを見つけ、俺は叫びともつかない嗚咽をし、母ちゃんを抱きしめた。

担当の看護婦さんに連れられてラウンジで落ち着くまで色々な話を聞いた。
母ちゃんは俺が来た数日は本当に機嫌がよかったそうだ。
看護婦さんや医者、同じ病室の人にもよく俺の話をしていたらしい。
逆に俺が来ない日が続くと元気がなく、泣いている日もあったという。
帰り際に、一枚のメモをもらった。
病院備え付けの薄っぺらいメモ用紙には震えた力無い「お疲れさま」の文字があった。

葬式や通夜が終わり、俺は発表を見に行った。結果は合格。
俺は合格通知を母ちゃんの墓に見せに行き、心で叫んだ。
「母ちゃん、ちゃんと受かったよ!」
そして俺はこの18年間分のごめんなさい、ありがとうを全部語った。

みんなの反応

1:フライ:2014/10/13 16:20:07

合格でよかったねー!

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